どろんこパーソンに迫る!vol.3 三筑どろんこ保育園の北原さん
2023.02.24
どろんこ会グループの子育て理念である「にんげん力。育てます。」
子どもにその力を育むためには、保育に携わるすべての大人こそが「にんげん力」をもっていなければなりません。
どろんこ会グループは全国約150箇所の施設を運営し、スタッフの数は約2000人に及びます。多彩なバックグラウンドをもつ一人ひとりが、さまざまな人生経験を糧に、その背中を子どもたちに見せながら、子育てに取り組んでいます。
そんなスタッフ一人ひとりのストーリーを伝える「どろんこパーソンに迫る!」連載第3回で紹介するのは、三筑どろんこ保育園(福岡県福岡市)で施設長を務める北原さんです。
保育士として27年半の経験を積む
北原さんは福岡県福岡市生まれの、同県糟屋郡宇美町育ち。
子ども時代の話から始めると、「保育園が大好きな子どもでした」と振り返ります。
「受け持っていただいた先生が厳しさもありながら優しくて、常に寄り添ってくれました。当時延長保育はなかったのですが、遅くなると保育園から5円をもらって近所の駄菓子屋さんに買い物に行くことができるのが楽しみで、居残りをしたいとわがままを言ったことを覚えています」と懐かしそうに語り、「保育士になりたいと思ったのはその先生がきっかけです」と。
そして地元の福岡こども短期大学で学び、資格を取得。学校の紹介で縁のあった法人に就職し、27年半勤め上げました。
「いわゆる一斉保育が主体の時代です。家族経営の園で長らく保育士として務め、その先は自分で保育園をつくろうかなどと考えていた時に出合ったのがどろんこ会です」北原さん、48歳の時のことでした。
どろんこ会の保育園を見て「ここしかない」
当時、どろんこ会グループでは九州での1園目をつくるべく動いていました。保育士の採用も進める中で、高堀代表が園舎の設計会社を通じて紹介されたのが北原さんでした。
北原さんは高堀代表に会った時に思ったことを正直に吐露します。
「いろいろお話を聞いたり、テレビで放送されたどろんこ会の子どもたちの様子を見せてもらったりして、勤めている園とは全く違う保育園があるのだなと興味をもちました。ただ、どの保育園であろうとトップダウンであることは変わらないだろうという警戒心のようなものを抱いていました」
そのような思いはあったものの、勤めていた保育園を辞め、転職するつもりでいたという北原さん。ところが、どろんこ会グループの九州1園目計画がとん挫してしまいます。
「その時に高堀代表が、その園で働き続けられるようかけあってくださいました。しかも、わざわざ謝ってくださって、『必ず福岡に保育園をつくるから』と約束までしてくださいました。一保育士のためにそこまで動いてくれる上司がいるのかと驚きました。その後、高堀代表からもし興味があればどろんこ会の保育園を案内するよと声をかけていただき、埼玉県にある朝霞どろんこ保育園や三原どろんこ保育園など3、4園を見学しました。園の様子を見て『ここしかない』と決意したんです」
もうひとつ、どろんこ会グループの保育園が北原さんの心の琴線に触れた背景がありました。
「私の父はもともと京都で宮大工をしていたのですが、私が生まれるタイミングで福岡に移り住みました。福岡では建設関係の仕事に携わっていたのですが、中学生のころ父に連れられ、父がつくった道路や補修した橋などを見せてもらいました。家を建てる現場もよく見ていたので、子どものころから木の香りが好きでした。木登りもよくしましたね。私の実家は父が一人で土台からつくりあげました。なんでも自分でやる、そういう姿勢を見てきたので、どろんこ会の子育て方針にぴんときたのかもしれません。また、どろんこ会の園舎は木造で木の香りがある。それが子どものころの記憶に重なるんです」と北原さんは話します。
ライフワークに支えられながら試練を乗り越える
福岡に保育園を必ずつくるから、しばらく東京の系列園で働いてくれないだろうかとの誘いを受け、快諾した北原さん。2013年に入社し、朝霞どろんこ保育園で研修を受けたのちに2014年4月に日高どろんこ保育園(埼玉県日高市)に施設長として着任しました。
ところが当時、日高どろんこ保育園はスタッフ同士の人間関係が不安定な時期でした。
「最初はスタッフに口も聞いてもらえなくて。でも引っ越しもしてしまったし、ここで逃げるわけにいかないと腹をくくりました。なんとかするしかないと、少しずつスタッフとの対話を始め、さまざまな活動に巻き込んでいきました。それを続けていくうちに『こんなことを聞いてよいのですか?』『こんな相談をしても答えてくださるのですか?』と、私としては普通と感じていたことでさえも、上司には聞くことができないような状況であったことに愕然としました。2年かけて風通しのよい職場づくり、チームワークをつくりあげていきました」
このつらい時期を支えたのは、北原さんのライフワークであり趣味である「マッチこと近藤真彦さんの追っかけ」です。
「中学生のころ、マッチがデビューした当時からのファンです。高校生の時にファンクラブに入会しました。ライブチケットは今のようにネットで申し込めたり抽選だったりではなかったので、夜中に母に一緒に行ってもらい売り場に並び、制服を着たまま徹夜してそのまま学校に行ったことを覚えています」という熱烈さです。「日高どろんこに来てからはディナーショーが楽しみで。次はライブ、次はディナーショーと、マッチを『頑張ろう』のモチベーションにしてきました。日高から都心に出るのは、実は福岡・東京間とほぼ同じくらいの時間がかかるのですが、交通費が減ったのがよかったですね」と笑います。プライベートを充実させられたからこそ今があるのかもしれません。
そして今も、北原さんの引き出しにはほほ笑むマッチの写真が入っています。引き出しを開けるたびに癒やされ、日々の活力にしています。
保育園の施設長として自分を更新
日高どろんこ保育園で4年間過ごしたのち、いよいよどろんこ会グループとして九州エリア初となる春日どろんこ保育園(福岡県春日市)が2018年4月に開園することが決まりました。
「4年もいると日高どろんこに情が移り少し心が揺れましたが、福岡に戻ることに決めました。また戻ったあとに社用スマホの導入も始まったので、日高どろんこのスタッフと連絡を取り合ったり、時々会いに行ったりもして交流を続けました。今となっては本当に貴重な4年間で、ここでの経験があったからこそ春日どろんこでも頑張ることができたのだと思っています」と懐かしみます。
春日どろんこ保育園の施設長に就任するも、開園当初は大変だったと振り返ります。
「スタッフは全員地元で採用したので、どろんこの保育を知っている、経験しているスタッフがいませんでした。スタッフの指導にあたりながら、住宅地の中にあったので地域との関係作り、さらにはどろんこ会グループの看板を背負い、グループ初の本州以外への進出とあって新聞にも取り上げられ、たくさんのご見学者の受け入れもありました」と、目が回るような忙しい日々を過ごしながら、ゼロから園をつくり上げる経験もしました。
そしてどろんこ会グループは2021年4月、春日どろんこ保育園に続く九州2園目として、福岡県福岡市に三筑どろんこ保育園を開園しました。このタイミングで北原さんは生まれ育った福岡市への帰還を果たしました。
※三筑どろんこ保育園での奮闘ぶりはこちらの記事をご覧ください。
異年齢保育と環境構成 三筑どろんこ保育園の子どもたちが変わった!
どろんこ会グループに入社し今年で10年目を迎えますが、保育士としてのキャリアは37年に及びます。これだけの経験を重ねても「まだまだ未熟です」と表情を引き締めます。
「3園で施設長を経験し、保育よりも前にチームワークづくりに尽力してきたように思います。私が長年現場の一保育士であったため、スタッフに無理強いをしたり、園のトップとしての圧を感じさせないような配慮をしていました。ただ、それだけでは駄目で、施設長として保育のあるべき姿を語ることが足りていなかったかもしれません。実は三筑どろんこでの保育環境についていろいろ指摘も受け、考えることがたくさんありました。このまま施設長を続けてよいのだろうか、一保育士に戻って学び直そうとも考えました」と悩んだことも明かします。
ただスタッフとの会話で気づいたことがあると言います。
「私の働き方を見ていると自分が施設長になれる気がしないとスタッフから指摘されました。スタッフに施設長という仕事に対して悪印象を与えていたかもしれないと、自らの働き方を反省し、振り返るきっかけになりました。一保育士に戻らずとも学びは続けられます。現場に寄り添いながら後進に保育についてアドバイスできるような、一皮むけた施設長としてスタッフに向き合っていきたいと今は思っています」と、自分をさらに更新していきたいとも語った北原さん。
勤続年数を重ねたから施設長になることができるわけではありません。あらゆる経験を積み、自らを更新し、スタッフに背中を見せて教えていくことのできる施設長こそが、どろんこ会グループの保育園を支えているのです。今回は福岡で「にんげん力」を発揮しているスタッフを紹介しました。
引き続き全国のどろんこパーソンに迫ります。次回もお楽しみに。
施設情報
三筑どろんこ保育園のブログ関連リンク
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