成人を迎えた卒園児と当時の担任が再会!生きる力を育んだ保育園と学童時代を振り返る
2023.03.09
「20歳になりました」
そう言って現れた卒園児を前に、思わず「感無量です」の言葉を漏らしたのは、朝霞どろんこ保育園(埼玉県朝霞市)で施設長を務める石井さん。
今回、石井さんに会いに来てくれたのは小山さん父娘。石井さんにとって異業種から転職し、保育士1年目で初めてかかわった大切なご家族です。小山遥架さんは3歳から6歳までメリー★ポピンズ 朝霞台ルームに通い、当時朝霞市で開設していた学童保育室メリー★ポピンズ kids北朝霞ルーム学童保育室(現在は閉鎖)にも小学校4年生まで通っていました。
幼児期から小学校にかけ、人格形成にとても大切な時期をどろんこ会グループの保育園と学童で過ごした思い出を語り合っていただきました。
多くの直接体験と自己決定を大切にした学童保育室
—十数年ぶりのご対面です。今の思いをお聞かせください。
石井さん:こんなに立派な大人になって感動しています。ただ子どものころもすごくしっかりしていて文武両道でした。当時保育士1年目の私にとっては、おもちゃの場所や一日の生活の流れを教えてくれた先輩です(笑)。
遥架さん:石井先生は変わっていないです。母と当時テレビに出ているうたのお兄さんに似ているとよく話していたのですが、その時の面影のままです。
—保育園や学童保育で特に思い出に残っていることはありますか?
遥架さん:学童で鳴子を練習したことを覚えています。
石井さん:夏に開催される朝霞市民祭りですね。今でも出ていますよ。
遥架さん:そうなんですね! 夏休みは特にいろいろな所に連れていってもらい、よい思い出がたくさんあります。
石井さん:当時の学童保育室の部屋は決して広い空間ではありませんでした。学校のある日はあまり遠出はできませんが、夏休みのように一日学童で過ごす日は、この限られた世界から外に出てさまざまな体験をして、一日が楽しかったと思って帰ってもらえるようにと行事を計画していたと思います。そういう体験が記憶に残ることで、自分を肯定する気持ちにもつながっていくように、そんな思いもありました。
小山さん父:ある日、娘が家に帰ってくるなり「今日は疲れた。へとへとだよ」と。聞けば朝霞市から富士見市の公園まで歩いて行ったというので本当に驚きました。おそらく片道10kmはあったのではないかと思います。
遥架さん:確か四つ葉のクローバーがたくさんある公園でした。自分たちで「この公園に行きたい」と決めたと思います。学童では自分たちで話し合ってやりたいことを決めることができたのは良い経験でした。また、今思えば自分たちが決めたことだからこそ、やり抜くことができたのだと思います。
石井さん:「自分で」というのは当時も保育において大事にしていました。法人の変わらない考えだと思います。
遥架さん:だからなのか、自分がやりたいと思ったことは結構頑固というか絶対やり抜くというのは今でもあります。高校生の時に進路を決める際、経済学を学びたいと考えて受験を決めたのですが、先生との三者面談で違う大学を勧められたことがありました。でも私は自分の決めた大学一本に絞って、絶対にここに行きますと宣言して進みました。
面倒見のよさは異年齢保育のおかげ?
石井さん:遥架さんは一緒に通っていた弟の面倒もよく見ていて、泣いていると常に寄り添っている、優しいお姉さんでした。
小山さん父:一番上の兄は保育園に連れて行くと必ず泣いていたのですが、この子は泣きもせずおとなしく待っているタイプでした。保育園でもおとなしいのかなと思っていたら、先生方が帰り際に「今日はこんなお手伝いをしてくれました」「下の子の面倒をみてくれました」など、家ではなかなか見えない姿を教えていただき、そういう話を聞くと親としてはとてもうれしかったのを覚えています。
遥架さん:保育園や学童でいろいろな子にかかわっていたからか、今でも下の子の面倒をよく見ます。どこかで見かけた子どもが何か危ないことをしていたらすぐに声をかけたりもします。
石井さん:違う年齢の子が混ざって暮らしているからですよね。まさに大きなおうちのような保育園で、私も当時は兄のような立場で子どもたちに接していました。
子どもは十人十色 多様性を学べる保育園に
遥架さん:実は私、動物が嫌いだったんです。鶏小屋の掃除をしましょうと言われて、どうしてくれるんだと心の中で思っていました(笑)。ヤギのえさやりも苦手で、朝霞どろんこ保育園に行く日が嫌いだったんです。
石井さん:今だからこそ聞くことのできた話ですね。子どもイコール動物が好きなわけではないですよね。
遥架さん:えさやりのときは兄の後ろに隠れながら、誰かにやってもらったり(笑)。今、田植えの時の写真を見て、自分がカエルを持っていることが信じられないです!
—最後に、保育園や学童、子どもたちが過ごす場所はどのような所であってほしいと思いますか?
遥架さん:今でもどろんこ会グループの保育園は変わらないと思いますが、いろいろな体験をさせてもらえる場所であってほしいと思います。体験は思い出となり経験値になります。私は小学校に行ったとき、機織りをしたことがあるかどうかを聞かれ、保育園での体験を話すことができ、うれしい気持ちになったことを覚えています。そういうさまざまな体験の中から自分の好きなことを見つけられたら素敵だなと思います。また、今は時代も変わり、考え方も変化してきています。例えばSOGI(性的志向・性的自認)などもそうですが、いろいろな人がいるという多様性を乳幼児期から学べるようになるといいなと思います。
—ご自身が長い時間かかわった子どもが成人した姿を見て、保育への想いを新たにするところはありましたか?
石井さん:保育は、未来に向けて大事な人格形成の時期を下支えする、つまり未来を創っていくという崇高な使命をもつ仕事だと思っています。日ごろからそのことをスタッフにも伝えていますが、今回こんなに素敵な大人になって戻ってきてくれた遥架さんを見て、自分の使命をあらためて実感することができ、保育の醍醐味も味わうことができました。同時にやはり子どもの大事な時期にかかわっていることの責任感をさらに強く感じました。
小山さん父:石井先生が今や大ベテランになられて再会できたことをとてもうれしく思います。やはりあきらめずに継続していけば、こんな素晴らしい出会いがあります。継続することは力ですね。
成人式を迎えるにあたりご家族でふと保育園の思い出話に花を咲かせたことから実現した今回の再会。遥架さんがお話しする姿は異年齢保育や直接体験を大事にしてきたどろんこの保育の未来を体現したかのようでした。どろんこ会グループは引き続き、子どもたちが未来を生き抜くためには今どのような体験が必要かを常に考えながら、子育てに取り組みます。