子ども、保護者、スタッフで共に考えた中里どろんこ保育園の食育活動 鶏を絞め命をいただく
2024.05.02
どろんこ会グループでは、日ごろから「命あるものを食している」ということを子どもたちが学べるよう、スタッフが自ら魚をさばいたり、鶏を絞めたりして、一緒にいただくという活動をしています。
※本記事には実際に鶏を絞める様子の描写および写真が含まれています。お読みいただく際はあらかじめご了承いただけますようお願い申し上げます。
魚をさばく取り組みは年間を通じ各施設で日ごろから実施しており、時には子どもが自らさばく体験をすることもあります。しかし、魚はすでに息絶えた状態で始めることがほとんどでした。「命をいただく」ということがどういうことなのか、命がなくなる瞬間こそがいただく瞬間ではないのだろうか、子どもたちにその瞬間を見てもらいたい。中里どろんこ保育園(東京都清瀬市)ではそのような思いをもって「命をいただく〜鶏をさばいて食す〜」会を実施しました。
命とは何なのかを子どもたちに見てもらいたい
中里どろんこ保育園では鶏とヤギを飼育していますが、ペットとしてかわいがることが目的ではありません。生き物を飼うことにより生死の瞬間に立ち会う体験機会を設けるためであり、生き物を世話することで自分の身の回りのことを自分でするということを教えるためでもあります。
今回は年を取って卵を産まなくなった鶏をいただくことにしました。
活動を実施するにあたり、スタッフの間では、そもそも何歳児からを対象とするのか、絞める過程においてどこから子どもたちに見せるかなど何度も話し合いを重ねました。
スタッフからは
「保護者に決めていただくのはどうか?」
「命がなくなる瞬間から見せる方が意味があるのではないか?」
「3歳児には理解するのは難しいのではないか?」
と、さまざまな意見が出されました。
そこで3歳児以上の子どもたちには、「命をいただく」会でどのようなことを実施するのかを丁寧に話しました。調理スタッフが鶏の人形を手作りし、解体し、内臓を取り出す様子などを本番さながらに見せたことで、子どもたちもイメージしやすかったようです。
その時に3歳児からも「鶏をさばく様子を見たい」という声が上がりました。
施設長の小川さんは「いろいろな意見がありましたが、見たいという子どもの選択肢の幅を狭めるのは違うのではと思いました。命とは何なのかを子どもたちに見てもらいたい、理解してもらいたいという思いから、一部の過程を見せるのではなく、全てを見せようと決めました」と振り返ります。
保護者の方には事前に懇談会にて会の目的や内容をお伝えし、子どもが参加するかどうかを決めていただき、保護者の方の参加も募りました。
かわいそうだけれど食べなきゃ
子どもたちは日ごろから小屋掃除や餌やりをすることで、鶏と関わっています。特に年長児は抱っこをしてかわいがることも多く、「この鶏はさばいちゃだめ」と言う子どももいました。スタッフが「この鶏はさばいてだめだけど、別の鶏ならよいのかな?」と問いかけると、考え込む様子も。「命をいただく」会の日まで、答えはなくとも子どもと対話することを大切にしてきたと小川さんは話します。
子どもへの導入をしっかりと行うと同時に、スタッフも入念な準備を進めました。保育士の野澤さん、調理スタッフの三井さんと橋本さんは、系列園で行われた鶏をさばく研修にも参加し、見通しをもつことができたと言います。また、この会に参加するかどうかについてはスタッフにも意志を確認したうえで実施しました。「大人にも選択肢があることを示したかったのです」と小川さん。
いよいよ会当日。鶏を小屋から出して抱っこしながら足を縛り、目隠しをしたうえで頭をたたいて気絶させます。その後、まな板の上で首を切り落とすところまで、子どもたち、当日参加してくださった保護者の方も固唾をのんで見守りました。鶏の首から血が出てきた瞬間、子どもたちからは「かわいそう」「痛そう」の声。
血抜きをしている間の時間は子どもたちと一緒に「今の気持ち」についてディスカッションしました。
小川さんは「何よりもまず、子どもたちの気持ちを受け止める時間が大事だと思いました。また、スタッフも子どもたちがどのように感じたかを知りたいと思っていました。また血抜きには時間もかかるので、その間に子どもが飽きてしまうのはもったいないのでどうしたら時間を有効に活用できるかを考えました」と、ディスカッションのねらいを話します。
子どもたちからは
「首を切られてかわいそうだった」
「涙が出ちゃいそうだった」
「足を縛ってぶら下げるところが一番かわいそうだった」
と率直な意見が出る中、
「かわいそうと思ったけれど、食べなきゃ」
という声もありました。
「さばいた直後だからこそ出た言葉ではないかと思います。話し合いがなければ、ただかわいそうで終わっていたかもしれません。そういう思いを聞くことができたのは良かったと思います」と小川さんは振り返りました。
まさに食べることは生きることを実感
いよいよ鶏の解体です。腹を割いて取り出した内臓やキンカン(卵巣や卵管内にある未熟な卵)に興味津々の子どもたち。野澤さんと三井さんが部位について詳しく説明しました。
解体後は縁側にコンロを用意してフライパンでシンプルに塩のみの味付けで焼き上げ、いよいよ試食です。出来上がるまで子どもたちと鶏にまつわるクイズを楽しみ、この会への意識が途切れないような工夫をしました。
もも肉とむね肉を試食し、食感の違いを感じながら「おいしいね」と味わう子どもたちの様子を見た小川さんは「さばいたことは忘れてしまうくらい、食べたいという意欲が勝っていましたね。まさに食べることは生きることと感じました」と、その時の勢いを語りました。
会が終わった後、「絞めた鶏をいただく気持ち」について子どもたちに聞いてみると、
「気持ちは分からなかったけれど、おいしかった」
「最初は悲しい気持ちだったが、食べたらおいしかった」
「ごはんは残しちゃいけないと思った」
などの声が上がりました。
当日は保護者の方も参加してくださり、このような感想を寄せてくださいました。
「先生方の子どもたちに経験してほしいという熱意に本当に感動しました。段階を追って(育ててお話しして経験してを)日々の保育の中でやっていただいたおかげで、子どもたちも自然な生活の中での体験につながったんだなあと感じました。先生方の準備もとても大変だったことと思います。本当にありがとうございました!!!私もいまだに頭の中にシーンが蘇ります。日本では生きることと死ぬことがとても離れてる気がします。でも生きることは死ぬことだから。だから生きることが尊いんだなあと思います」
最後、子ども、保護者の方、スタッフ皆で、鶏の羽根に見立てたメッセージカードにそれぞれの思いをしたため、大きな「鶏」を完成させました。
小川さんは「命が関わるからこそスタッフの間でも活動内容について賛否両論が出ました。だからこそ事前準備が非常に大事だったと思います。保育者もよく話し合い、同じ意識をもって子どもに命について伝えようという目線合わせができたと思います。子ども同士もなかなか真剣にディスカッションをする機会がないのでいろいろな気持ちを引き出せたこともよかったと思います。 『いただきます』の本当の意味は、私たちは命をもらわないと生きていけない、食べないと死んでしまうから、命を『いただいている』ということだと思います。子どもたちが完全に理解はできなくとも、ホンモノを体験したことにより考えるきっかけになるとよいと願っています」と、「命をいただく」会を通じて伝えたい思いを語りました。
関連リンク
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